川に心川川に心癒されるされる

 

 

鶴生田川にかかる石橋にもたれて川の流れを見ていると、2つ3つ下流にかかる橋のうえにも同じように流れを見つめる初老の男性がいました。

 上着の襟を立て、帽子を目深にかぶった男性は、上半身を橋にあずけ、欄干の上で組んだ両の手に顎をのせ、ぼんやり川面に視線を落としていました。


 川辺を歩いていると、こんな人にときどき出会います。

 

 ぽかぽか陽気の日に土手に座りこみ、何をするともなく流れを見ていると、不思議なくらい気持ちよくて、いつまでもこうしていたいと思うことがよくあります。


 でも、いつまでも同じではいられない、永遠に同じものなど世の中に存在しないと教えてくれるのも、水の流れです。目の前を流れていった水に、もう再び出会うことはありません。


 

私がそんなことを思っている間も、初老の男性は寂しそうに水辺を見つめていましたがしばらくしてこちらの視線に気づくと、はっとして身を起こし、うつむきながら手にしていたハンカチで、目頭のあたりを2、3度押さえたのです。


 思いもかけない涙に出会い、私は戸惑いました。
男性はすぐに橋のたもとに止めてあった自転車に跨がり、マフラーをぐるぐると巻き直すと、走り去ってしまいました。


 泣いていたのでしょうか。
確かめるすべはありませんが、もし泣いていたのだとしたら、きっと男性は水辺に癒されたのだと思います。

 水辺にいると不思議と人の心は落ち着くものです。


 流れを見つめることで、男性の張り詰めた緊張の糸がゆるんだのか、胸のなかのこじれた結び目が少しだけほぐれたのかあるいは凍てついた辛い思い出がわずかに溶け出したのか。水によって心が揺れ、それが涙となったのでしょう。


 人の心は水辺に引き付けられるようにできています。洪水を防ぐためにつくられ、コンクリートにかこまれた鶴生田川でさえそこに水がある限り、人の心をとらえます。

 心の痛みをかかえる人の多いいまのような時代には、胸のわだかまりをやさしく流してくれる川が、まちのなかに必要なのです。


     スクリプト・橋本淳司(FMグンマ『四季の散歩道』2001.12.27放送)

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